ポメラニアンの鬣

-3-



毎度あり、という威勢の良い声を背にして、暖簾をくぐる。
「いやぁ、悪いね。すっかりご馳走になっちゃって」
「いいのよ。日頃の感謝の気持ちなんだから」
「サクラちゃん、奢ったのオレだってばよ」
アンタが一番迷惑かけてるでしょ、と言われれば返す言葉が無くて、ナルトはしゅんとした。
薄暗くなり始めた空を見上げると、気の早い電灯が帰宅を急かすように白い光をくすぶらせていた。
「じゃ、これにて解散な。明日遅れるなよ」
先生が言うなってばよ、と声を上げる子どもを笑顔で誤魔化し、カカシはその場を去った。
しばらく見送ってから、ナルトとサクラは顔を向き合わせて、互いに頷く。
曲がり角で見えなくなった姿を走って追いかける。
神経を張り巡らせていたにもかかわらず、三ブロックほど進んだ所で見失ってしまった。
この方向であっているのかと言い合っていると、背後に大きな影が被さった。
「なーにしてんの、君たち」
驚いて思い切り振りかえると、腕を組んでそびえ立つターゲットがいた。
心なしか険しい片目に、さすがのサクラも機転が利かない。
冷や汗を滲ませたナルトが下手に笑ってみせた。
「いやー、カカシ先生ってば偶然!
ちょっとこっちに新しいラーメン屋が出来たって言うから、行ってみようかなぁって思ってたんだってばよ」
アンタの頭はラーメンだけか、と内なるサクラがお決まりのいきり声を上げる。
「さっき食べたばっかりでしょうよ。
下手な言い訳は止めて、そろそろ何があったのか話してもらおうか」
腰に手を当て、見下ろす。
見透かすような大人の目に耐えられなくて、二人は顔を伏せてしまった。
このままでは埒があかない。
「ふー。どうしても言いたくないなら、直接サスケに聞いてみようかなぁ」
サスケという言葉に反応して、寒色の瞳がバッと見開かれる。
「ダメ!先生、サスケくんは」
「オレが、悪いんだってばよ」
サクラが咄嗟に言いかけたのを遮るように、ナルトが喉の奥から込み上げる声で言った。
日に焼けた小さな拳が震えている。
はち切れそうな感情を押し込めている頭に、カカシが手を置いた。
「ナルト、サクラ。オレはお前たちの先生である前に、同じ七班の仲間だ」
ナルトを見つめていたサクラが、目を伏せて口を開く。
「それは、わかってるけど……」
「チームワークって、なんだろうな……」
寂しげに遠くを見つめる大人に、サクラの決心は折れてしまった。
なんだか騙されているような気もするが、そんな風に言われては隠し通すことなんて出来ない。
「黙っていて、ごめんなさい。
私たち、このことはカカシ先生には話さないで、ってサスケくんに頼まれてたの。
でも絶対サスケくんを責めないで!サスケくんは悪くないんだから。
あと、ナルトも」
付け足されたか細い声に、ナルトは拳の力を抜き、サクラちゃん、と呟いた。
「昨日の任務の帰りに、私たちより一年早く卒業したアカデミーの先輩が、よくわからないけどナルトにちょっかい出して来たの。
それで、ナルトが珍しく大人しくなっちゃって、サスケくんがそいつらを挑発するようなこと言って帰ろうとしたら、殴りかかってきて。
サスケくんは上手くかわしたんだけど、今度はそいつらサスケくんの悪口言いだして。
嫉妬みたいなものだったけど。
そしたらナルトがキレて手を出したの。で、これが当たっちゃって。
相手もまさかナルトに、って思ったらしくて、ムキになって暴れ出して。
それからは乱闘よ。
でも同郷の忍同士の争いはご法度じゃない。
サスケくんと私が止めに入ったんだけど、収集つかなくて。
相手が手裏剣まで使ってきて、私に当たりそうだったのを庇って、それで」
「怪我したのか」
サクラが桃色の長い髪を揺らして、こくりと頷いた。
「でも、それにしちゃあナルトの怪我は大したことないな。
サスケは任務に来られないほどの怪我なんでしょ?」
サクラは思い出すのも辛そうに視線をそらした。
「手裏剣の傷自体は大したこと無かったんだけど……」
「オレがわけわかんなくなって、影分身使っちまったんだってばよ。
思いっきし突っ込んだから、間に入ったサスケが見えなくて」
それきり二人とも黙りこんでしまった。
カカシは話からありありと浮かぶ光景に、安易な行動をとったことをたしなめるべきなのか、仲間想いなのを褒めるべきなのか、わからなかった。
たぶんどちらもなんだろうが、拍子抜けや安心が大きすぎて、なかなか言葉が見つからない。
忍同士の争いと言っても、傍から見たら単なる子どもの喧嘩でしかない。
それをいっちょう前のプライドや、結束やらで、隠し通そうと必死になっていたのか。
笑いを噛み殺すのが大変だ。
うつむく二人の頭に手をやり、わしゃわしゃかき回した。
「わかった、わかった。
今日はとりあえず二人とも帰りなさい。
説教はまた明日だ。
その下忍の担当上忍とも話さなくちゃならないしな」
諭すような口ぶりに、サクラは再度ごめんなさい、と呟いた。
ナルトが言いにくそうに口を開く。
「先生、サスケんとこに行くのかよ」
申し訳なさそうな声色とは反対に、その眼は揺るぎなくて真っ直ぐだ。
「アイツのこと、叱らないでくれってばよ。
頼むからさ」
はっきりとした低い声は力強く、カカシはきっとこの子は将来いい男になるだろうな、と思った。
「だいじょーぶ。
ちょっと様子を見てくるだけだ。
怪我の状態も気になるからね」
優しい声に、ナルトは歯をむき出して照れ臭そうに笑った。
サクラもつられてほほ笑む。
日暮れが近い。

*

コンコン窓を叩く音を聴いて、サスケは一階に逃げようとしたが、痛む足が言うことを聞いてくれない。
つい今しがた二階の窓を外から叩いたはずが、どこから入り込んだのか自室の扉から堂々と現れた姿に、頭から布団を被る。
力のある大人はたちが悪い。
「二人に聞いたよ。
水臭いね、サスケくん。オレだけ仲間外れ?」
言いながらサスケの横たわるベッドに腰かける。
それでも口を開こうともしないし、癖の強い黒髪から、マメ一つない足の指まで隠れたまま出てこようとしない。
「サスケ?」
不思議に思って毛布を剥がそうとすると、大きな声がかかった。
「見るな!」
ビクリと手が引っ込む。
触るな、でもなく、見るな?
怪我をしたサスケを見るなんて、今更珍しいことではない。
しかし、そう頑なに隠されると、見なくてはいけない気分になる。
うつ伏せになっている体を勢いよく反転させ、両手首をつかみ、圧し掛かって足の動きも拘束すると、なかなか悲惨な顔があった。
左目は腫れあがって黒い瞳を覆い隠し、右の口端も膨らんで血が滲んでいる。
人工物みたいに整った顔でも、怪我の仕方によっては酷くなるものだ。
サスケはきゅう、と目をつぶって顔を背ける。
「痛そうだね」
「うるせぇ、離せ」
「離したら、手当させてくれる?」
「だから、見んなっつってんだろ。これくらい平気だ」
「平気なのに任務休んだの?見られたくないから?」
サスケの右目が微かに開く。
ゆっくりと黒眼がこちらを向く。
窺うような表情に吸い込まれそうになる。
「怪我した顔見るなんて、今更でしょ」
「アンタ、さっき引いただろ」
「まぁ……。どんな顔でも、殴りようによっては酷くなるもんだね」
一瞬、サスケが寂しそうな顔をしたのを、カカシは見逃さなかった。
「なに、お前、俺が顔で選んだと思ってたの?」
恐る恐る尋ねる。
カカシは白い首筋を見つめ、答えを待った。
「それ以外、何があんだよ」
弱弱しい語調に、こめかみ辺りが熱くなる。
カカシはサスケの頬に思い切り口づけた。
「オイ、いてぇって」
「サスケ」
背筋を這うような低い声に、暴れる体が静まる。
指通りの良い髪を梳き、堪え切れなくなった笑いを洩らす。
意味不明なカカシの笑い声に、サスケは口を変な形に曲げた。
「バカだね、お前。ホントに」
強く抱きすくめられても、サスケには理解できない。
その手段はとっくに奪われてしまった。
とりあえず、自分は何かを誤っていたらしい。
顔が熱くなる。
脈の波打つ感覚と心臓の鼓動の区別がつかない。
カカシがどんな顔をしているのか知りたくて、体を捩ったが、巻きついた大きな大人がほどけない。
まったく、卑怯だ。
「オレ、言ったろ。甘えていいって」
しばらくして掛けられた言葉が、空っぽの部屋によく響いた。
同じことを言われた夜を思い出して、息苦しくなる。
小さな手は彷徨って、大きな背中に落ち着く。
「アンタは、オレのシェルターだ」
「シェルター?」
「ホントに、ダメになったら、ちゃんと行く。
逃げたくなったら、逃げる。
だから、まだ、大丈夫だ」
躊躇うように短く切られた声はたどたどしい。
些細なことで離れるのを心配するくせに、あくまで強がりは止めないらしい。
あるいは自分と同じように、寄りかかり過ぎるのを恐れているのだろうか。
だが、こっちはいよいよどっぷりハマってしまいそうだ。
もう振り返ることさえ叶わない。

窓が夜風でカタカタ揺れる。
子どもたちはたてがみを守る。
暗闇でも金色に輝く、生き抜くための本能なのだ。











見た目なんて関係ないと言いながら容姿にコンプレックスのあるサスケは萌える、という話。
次の日カカシ先生は、三人に手を出した下忍の先生をチクチクいびりました。(笑)

2009.4.5


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